夫婦って何なんでしょうか
既婚ビアンとして暮らしていると、ふと立ち止まって考える瞬間があります。
夫婦って、一体何なんでしょう。
夫婦という関係は、外から見える姿と、内側で育っていくつながりがまったく違うことがあります。既婚ビアンとして暮らす私は、日々の生活の中で「夫婦とは何か」「家庭とはどんな場所なのか」を静かに考えるようになりました。仲が悪そうに見える夫婦が深い絆を持っていたり、仲良しに見える夫婦が突然別れを選んだり。家庭という小さな国には、当事者にしかわからない歴史やルール、そして不思議な縁が息づいているのだと感じています。
仲が悪そうに見える夫婦でも、伴侶が亡くなった瞬間、驚くほど深く落ち込んでしまうことがあります。
逆に、誰が見ても仲良しに見える夫婦が、ある日突然、静かに離婚してしまうこともある。
外から見える姿と、内側で育っている関係性は、まったく別のもの。
夫婦というのは、「我が子でもわからない」ほど独自のつながりを持っているのではないかと、私は思っています。
立花家という小さな帝国
我が家の夫婦関係を一言で表すなら、
主と従者。
この言葉がいちばんしっくりきます。
立花家という小さな帝国に君臨するのは、私。
娘たちにも、夫にも、それぞれの役割がありますが、最終決定と責任は、やはり私にあります。
もちろん、威張りたいわけではありません。
ただ、家庭という国を運営していくうえで、
「誰が旗を持つのか」
「誰が最終的に舵を切るのか」
その役割が自然と私になった、というだけの話です。
夫はマメで、私は無頓着。
家事の多くは夫が担い、私はご飯を作ることと、気が向いたときの掃除だけ。
洗濯物を放置して怒られるのは、だいたい私(笑)
でも、そんな凸凹があるからこそ、立花家という国は今日も平和に回っているのかもしれません。
家庭という国を続けるための「我慢」という選択肢
家庭を国と考えるなら、
国を持続させるために、あえて我慢を選ぶ夫婦という形も、確かに存在するのだと思います。
我慢という言葉はネガティブに聞こえがちですが、家庭という国を維持するために、
「今は言わない」
「ここは譲る」
「これは飲み込む」
そんな静かな判断を積み重ねている夫婦もいる。
それは決して不幸ではなく、むしろ“国を守るための外交”のようなものなのかもしれません。
維持するための関係も、ひとつの夫婦の形
夫婦の形は本当に多様で、
「愛があるから続く夫婦」もあれば、
「家庭を維持するために続く夫婦」もある。
どちらが正しいという話ではなく、それもまた、ひとつの夫婦のかたち。
長い時間を共に生きていれば、最初にはなかった何かが、ある日ふっと芽生えることだってある。
情かもしれないし、信頼かもしれないし、諦めのようでいて、実は深い理解かもしれない。
人と人が長く関わるというのは、本当に不思議で、予測できない営みなんですよね。
人との縁は頼りなくて、不思議で、だからこそ尊い
人との縁って、実はとても頼りない。
ちょっとしたすれ違いで切れてしまうこともあれば、思いがけない出来事で急に深まることもある。
でも、その頼りなさこそが、縁の不思議さであり、そして尊さでもある。
夫婦という国もまた、そんな頼りなくて不思議な縁の上に成り立っているのだと思います。
今日もなんとか続いている。
明日もきっと、なんとか続いていく。
その“なんとか”の積み重ねが、夫婦という国の歴史になっていくのかもしれません。
