国民がこれほど苦しんでいるというのに、海外や外国人へは気前よく税金をばらまく政治家たち。
スーパーでいつもと変わらない物をカゴに入れただけなのに、会計で以前の2倍近い金額を突きつけられ、レジの前で思わず震える。
そんなギリギリの毎日を過ごしているなかで政治ニュースを見ていると、ふと
「北朝鮮のミサイル、いっそこの人たちの頭の上に落ちないかな」
なんて、物騒な思考が過ってしまいます。みなさんは、そんなふうに感じることはありませんか?
「海外支援と消費税減税は“同じ財布”ではなく、桁も仕組みも、国益の意味もまったく違う」――そんなふうに諭されることがあります。

うちのごはん代は苦しいのに、どうして海外には大金を?猫同士でひもとく日本の事情 | 猫も読む優しい政治と徒然日記
物価高でごはん代もぎりぎりなのに、ニュースでは「日本が海外に〇兆円支援」と聞こえてくる。猫同士で「そのお金、国内の減税に回せばいいのに」とひそひそ話したくなるのは自然なこと。 でも実は、海外支援と消費税減税は“同じ財布”ではなく、桁も仕組み
ええ、制度上の理屈としては理解しています。でも、感情的にはどうしても解せぬのです。そもそも、その「財布」を勝手に分けているのは政府であって、私たち国民は「財布を別にしてくれ」なんて一度も頼んでいません。
家計に例えるなら、家族が日々の食事代にすら困って身を削っているというのに、外での体裁を保つためだけに、他所へ大金を気前よく寄付して回っているようなものです。
そんな夫や妻を、誰が信用できるでしょうか。正論を振りかざして生活者の痛切な実感を封殺しようとしても、納得できるはずがありません。
結局のところ、まともに外交ができているようには見えないのです。
高市さんがトランプさんの前で見せた、キャバクラのママのような振る舞いを見てもそう。
自分たちの手腕でまともな外交交渉ができないからこそ、その無能さを「お金をばらまく」ことで誤魔化しているだけではないですか。
エルサルバドルなど、直接的な関係すらよく見えない遠い国にまで大盤振る舞いをしている姿を見ると、底知れぬ虚しさが湧き上がります。
け。それが、偽らざる私の本音です。

海外支援に漂う“中抜き”の不信──歴史と構造が生む現代の利権ループとは – 立花月夜の思考図書館
海外支援のニュースに国民が不信を抱く背景には、過去のODA汚職の記憶と、現代のタイド援助に組み込まれた“合法的な中抜き”の構造がある。政治と企業の利権ループがなぜ国民の不信を生むのか、歴史と制度の観点から整理します。
