ジェンダーを否定しながら、ジェンダーを指針にする矛盾への違和感

ジェンター:女性

こんにちは。立花月夜です。

乾燥がひどい時期ですが、みなさんは保湿は何を使っていますか?
私はサボりがちでカサカサ・・・。

今日はジェンダーのお話。

ジェンダーとは性的役割のこと。
生物学的な性別とは異なり、社会や文化によって作られた「男らしさ・女らしさ」や「性別の役割分担」のことなのですが、最近はなぜか「生物的な性別」と混同されていると思うのは私だけでしょうか。

さて、ジェンダーは悪だ。みたいに言われます。
ジェンダーバイアス(偏見)例:「男/女はこうあるべき」という思い込み。

ですが、このジェンダーバイアスが人生の指針になる場合も少なからずあります。
生き方が定まらない人にとって「女らしく」「男らしく」と言うのは羅針盤になるんですね。

トランスジェンダーでも、それは言えるのではないでしょうか。
トランスジェンダーの「女らしく」「男らしさ」はバイアス内に存在するものです。

私のように生き方や性格が「男らしい」と当てはめる場合もありますが、ほとんどのトランスジェンダーは自分の中の「男らしい」「女らしい」を演じているように見えて私は仕方ありません。

女装をされる方の多くがなぜか女子高生の姿をするのは、彼らにとって「女性らしい」が女子高生なのでしょう。
同じMtFの方でも、自分らしい女性の姿をする方もいらっしゃいますが。FtMの方も同じです。自分の中の「男らしい」を演じているのではないでしょうか。意識的にしろ無意識にしろ。

ジェンダーは生物学的な性別ではありません。だからこそ、生きるための指針になるわけです。

トランスジェンダーはジェンダーを誰よりも生きる指針にしている。そのトランスジェンダーが、ジェンダーを否定するのは私は変だなあと思うのです。

自分が生まれた性でジェンダーを選ぶ。それは悪だとされるのは絶対おかしい。

ただジェンダーは理解や意識を他者に押し付けるものではなく、自分の中で完結するものだと私は思うのです。

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