セクシュアルマイノリティの話題になると、必ずといっていいほど出てくるのが「カミングアウトは必要なのか」という問いです。
私は、この問いに対してずっと同じ答えを持っています。
「必要だとは思わない」。
その理由を、既婚ビアンとしての立場から静かに書いてみます。
ノンケは自分の性的指向を説明しない
異性愛の人は、わざわざ「私は異性が好きです」と宣言しません。
それが当たり前とされているから、説明する必要がないのです。
では、なぜ私たちだけが「言うべきだ」とされるのでしょうか。
その違和感は、ずっと胸の奥に残ったままです。
性的指向は、私という人間のすべてではありません。
たくさんある要素のひとつにすぎず、本来、他人に提示する義務などどこにもないはずです。
カミングアウトは「理解してほしい」という負荷にもなり得る
カミングアウトは、よく「勇気のある行為」として語られます。
それはきっと、間違ってはいません。
けれど同時に、相手に「理解してほしい」という期待を背負わせる行為でもあります。
理解したいと思っていない人にまで、
「わかって」「受け入れて」と迫る必要は、本当にあるのでしょうか。
それは、私の望む関係性ではありません。
そして、相手にとっても重荷になることがあります。
理解したいと思ってくれる人にだけ伝えればいい
私が大切にしたいのは、
「理解したい」と自ら手を伸ばしてくれる人との関係です。
その人にだけ、静かに、必要な分だけ伝えればいい。
それで十分だし、それがいちばん自然だと感じています。
カミングアウトは義務ではなく、選択です。
そしてその選択権は、いつだって自分の側にあります。
既婚ビアンとしての私の答え
私は既婚ビアンです。
けれど、それを誰にでも説明するつもりはありません。
家族として寄り添ってくれる人。
私という人間を知りたいと思ってくれる人。
その人たちにだけ、必要な分だけ話します。
それが、今の私にとっての「生きやすさ」です。
カミングアウトをするかどうかは、
「社会がどう思うか」ではなく、
「自分がどう生きていきたいか」で決めていいのだと思います。
