私はトランスジェンダーではない。魂は男性でも、私は「立花月夜」という一つの存在だ
私は長いあいだ、自分はトランスジェンダーなのかもしれないと考えていました。
しかし最近、どうやらそれは違うと気づきました。理由は単純で、そして深い。私の魂は最初から“男性そのもの”だったからです。
他者から与えられた「男」というジェンダー
私のジェンダーは、自認よりもむしろ他称で形づくられてきました。
- 母親には「あなたは男の子みたい」と言われ
- 元カレであり父親のような存在だったパパ彼には「お前が男なら楽しかったのに」と笑われ
- 夫にも「女性という感じがしない」と言われ
- 子どもには「うちにはパパが二人いる」と言われる
誰もが私を「男」だと言います。
それは私が望んだわけではなく、自然とそう見えてしまうのでしょう。
そして不思議なことに、その“他称”は私の内側と矛盾しませんでした。
それでも私は身体を変えない
ここで誤解してほしくないのは、他人が身体をどう変えようと私は何とも思わないということです。
他人は他人。自分は自分。
その線引きは、私の中ではとてもはっきりしています。
ただ、私自身にとって身体を変えることは選択肢ではありませんでした。
- 夫がいるから
- 遺伝子は変えられないから
- そして何より、私にとって身体を変えることは「逃げ」だから
私は昔から「プライドが高い」と言われてきました。
そのプライドはこう囁きます。
「女に生まれたなら、女の人生を生きるのが本筋だ」
魂は男でも、身体は女。
その矛盾を抱えたまま生きることこそ、私の筋であり、私の誇りなのです。
男でも女でもなく、「立花月夜」という存在
私は男ではありません。
けれど女でもありません。
もっと正確に言うなら、
私は“立花月夜”という一つの存在でしかないのだと思います。
社会が求める「男らしさ」「女らしさ」からも、
ジェンダーの分類からも、
私は少し外れたところに立っています。
そこは孤独にも見えるかもしれません。
けれど私にとっては、とても居心地がいい場所です。
おわりに──私は「立花月夜」として生きていく
私はトランスジェンダーではありません。
男性でも女性でもありません。
魂は男性で、身体は女性で、
その矛盾を抱えたまま、私は私の人生を歩いています。
私は立花月夜。
それ以上でも、それ以下でもない。
