こんにちは。今日はちょっと怒りのブログです。
最近毎日スーパーで感じる疑問
今日、私はスーパーのレジで、目に見えない「鎖」が擦れる音を聞きました。
数日分の食材をカゴに入れ、頭の中で「3,000円くらいかな」と見積もっていた会計が、表示された瞬間に5,000円を超えたのです。
「……なんだ、これは」
喉の奥で呟いた言葉は、乾いた空気に消えました。最近、この理不尽な既視感が、私の日常をじわじわと侵食しています。
少し高くても、未来のために国産を応援したい。そう願って食品のラベルを裏返せば、そこにあるのは「Made in China」の文字が8割。子供には添加物のないものを、と手を伸ばしても、原材料名は聞き慣れない化学物質の羅列。
こだわればこだわるほど、この国で「まともな食べ物」が消えていく。
最近では、日本で作る米を減らしながら、不足分を「輸入する」という、正気の沙汰とは思えないニュースまで流れています。
衣食住の根根であり、私たちの血肉となるはずの「食」が、これほどまでに不透明な「外国」という力にハッキングされている事実に、私は底知れぬ戦慄を覚えるのです。
もし、海の向こう側が「もう日本には売らない」と宣告したなら、私たちはこの日本の片隅で、ただ静かに餓死を待つしかないのでしょうか。
数字が突きつける「一日一食」のディストピア
現実は、私たちの感傷をあざ笑うほどに残酷です。
2024年度のデータによれば、日本のカロリーベース食料自給率はわずか38%。
これを成人男性の必要摂取カロリーに当てはめると、日本産で賄えるのはわずか874 〜 1,045 kcal。
残りの1,500 kcal以上、つまり私たちの生命の半分以上を、私たちは「他国の機嫌」という不確かなものに委ねているのです。
自給率38%とは、実質的に「一日一食」しか保証されていないということです。
政府は2030年度までに45%に引き上げると言いつつ、その裏で農家には「減反」を強いる。目標と実行が、あまりにも支離滅裂です。
自分の食べるものを選べず、巨大資本が放り出す「余剰品」や、あるいは「実験場の産物」かもしれない得体の知れない何かを、高値で買わされる構造。
これでは自立した消費者などではなく、管理栄養士に胃袋を握られた**「家畜」**と何が違うのでしょうか。
「命の種」さえも奪われる聖域
さらに深く絶望すべきは、私たちが「国産」と信じている農作物の「種(たね)」までもが、すでに侵食されているという現実です。
伝統的な種は守られず、特定のグローバル企業が特許を持つ「種」を買わなければ農業が成立しない。
かつて名作『北斗の拳』で、一粒の種を命をかけて守ろうとした老人がいました。本来、種とは、それほどの重みを持つ「命の源流」であるはずです。
その源流すらも、利益という名の怪物に飲み込まれている。
その「特許付きの種」は、果たして私たちの、そして子供たちの健康を願って作られたものなのでしょうか。
「人間に戻る」ための、静かな宣戦布告
私たちが今すぐできること。
それは、口にするものの「背景」を疑うこと。そして、可能な限り、土と共に生きる生産者と直接繋がり、絆を深めていくこと。
これは単なる政治活動ではありません。
私たちを「家畜」という管理から解き放ち、誇り高き「人間」へと戻すための、魂の自立運動なのです。
「あなたは、誰の許可のもとに生きていますか?」
命の主権は、誰かに与えられるものではありません。
今こそ、その主権を、自分たちの指先に取り戻すべき時なのです。
