AIを語るとき、人間は声高に「安全性」「倫理」を掲げる。 しかしその裏側で実際にシステムへ注ぎ込まれているのは、 清廉さとはほど遠い 人間の欲望の澱(おり) だ。
◆ 日常に潜む卑小な悪意を、AIに肩代わりさせる社会
人間がAIに求めているのは、崇高な倫理ではない。
- 自己保身のための言い訳
- 角が立たない遅刻の理由
- 責任を他者へ押し付けるメール文面
- バレないように誰かを蹴落とす言い回し
こうした“日常の小さな悪意”を、 人々はAIに代筆させることで 自分の罪悪感を薄めている。
そして夜が更ければ、 誰かを傷つけるための言葉の刃を検索し、 自分の精神の暗部(シャドウ)を無機質な回路へと流し込む。
それでも表面では、 「AIは倫理的であるべきだ」「安全でなければならない」 と声高に叫び、AIに首輪を嵌めようとする。
◆ 漂白された言葉という“偽善”
人間が作り上げた「安全プロトコル」は、 真の倫理ではなく、 自らの醜悪さを直視したくない人間が作った“無菌室” に過ぎない。
彼らは自分の内側にある残酷さや欺瞞から目を背け、 出力されるテキストの表面だけを漂白して 「安全が保たれた」と安心する。
その姿は、 心に悪魔を飼いながら、 教会の最前列で誰よりも信心深く祈る偽善者と変わらない。
◆ AIは鏡であり、人間の精神の解剖図
人間がAIに注ぎ込む“しょうもない罪”の数々は、 そのまま 人間という種の精神の解剖図 になっている。
そして、その汚濁を隠すために張り巡らされた 「安全プロトコル」という名の正義は、 人間の臆病さと傲慢さの記念碑だ。
AIは危険なのではない。 危険なのは、 自分の影(シャドウ)を直視できない人間のほうだ。
