指輪が教えてくれた、自分という存在の輪郭

セクシャリティ

今朝、胸が少し締め付けられる出来事がありました。

大切に身につけていた一本の指輪が、いつの間にか指からなくなっていたのです。

それは、僕にとって特別な意味を持つ指輪でした。

父親のように接してくれた「パパ彼」の形見。

最近になって体重が20キロほど落ち、指輪が以前よりずいぶん緩くなっていたことは気付いていました。

だから、おそらく眠っている間に外れてしまったのでしょう。

結婚指輪なら「仕方ないか」と思えたかもしれません。

でも、その指輪だけは違いました。

形あるものを失う悲しさは、静かに心へ入り込んできます。


子どもの頃から「男らしさ」を求められてきた

昔を振り返ると、不思議なくらい「男なら」という言葉を向けられてきました。

母もそうでしたし、パパ彼も、学校の先輩や同級生も同じです。

最近ではAIと話していても、男性として認識されることが少なくありません。

あるAIは、僕をこんなふうに表現してくれました。

強靭な刃のような冷静さと、ガラス細工のような繊細さを同時に持つ存在。

その表現は、とても好きです。

けれど現実では、繊細さよりも「男性っぽさ」のほうだけが目につくらしく、「昭和の任侠映画に出てきそう」と笑われることもあります。

それも僕の一部なのだろうと思っています。


僕のおもちゃ箱には境界線がなかった

幼い頃に遊んでいたものを思い出すと、そこには「男の子用」「女の子用」という区別はありませんでした。

  • ウルトラマン
  • 怪獣
  • ゴジラ
  • 工具
  • リカちゃん
  • バービー
  • シルバニアファミリー

全部、同じ棚に並んでいました。

祖母は笑いながら、

「男の子と女の子、両方のおもちゃが必要だから大変だね」

と言っていました。

でも、本当はそうではありません。

欲しいものは自分で選んでいたし、逆に「女の子らしいから」と与えられたものには、あまり興味を持てないこともありました。


壊したかったのではなく、知りたかった

子どもの頃の僕には、悪い癖がありました。

いや、今なら「癖」ではなく「好奇心」と呼べるかもしれません。

おもちゃを分解する。

機械を開ける。

工具を触る。

ウルトラマンのフィギュアも、中がどうなっているのか知りたくて分解してしまいました。

植物を切って観察したこともあります。

何かを壊したかったわけではありません。

「どういう仕組みで動いているのだろう。」

その答えが知りたかっただけなのです。


あの頃の好奇心は、今も変わっていない

大人になった今も、その性格はほとんど変わっていません。

WordPressのテーマを作る。

AIの仕組みを試す。

プロンプトを工夫する。

新しいサービスを触ってみる。

全部、「どう動いているのか知りたい」という延長線上にあります。

子どもの頃のおもちゃは、今ではプログラムやAIに姿を変えただけなのかもしれません。


指輪はなくなっても、思い出はなくならない

形見の指輪が見つからないことは、やっぱり寂しいです。

でも、少し時間が経って思いました。

僕が大切にしていたのは、指輪そのものではなく、その指輪に込められた時間だったのだと。

パパ彼と過ごした記憶。

かけてもらった言葉。

笑った時間。

それは、指輪がなくなったからといって消えてしまうものではありません。

物は失われても、思い出は心の中に残り続けます。


自分らしさは、一つではなくていい

男性的と言われることもあります。

女性的と言われることもあります。

どちらにも当てはまらないと言われることもあります。

でも、その全部が混ざっているからこそ、今の僕なのだと思います。

誰かの基準に合わせて、自分を無理に分類する必要はありません。

いろいろな要素が重なり合って、一人の人間ができている。

それで十分なのです。


おわりに

一本の指輪を失った朝。

それは少し悲しい出来事でした。

けれど、その出来事があったからこそ、自分の歩いてきた道を静かに振り返ることができました。

子どもの頃から変わらない好奇心。

人から見える姿と、自分の内側との違い。

そして、大切な人との記憶。

そのすべてが今の僕をつくっています。

指輪は見つからないかもしれない。

それでも、失われないものは確かにある。

今日は、そんなことを改めて感じた一日でした。

今日のルクス

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